更新したい記事の都合で割り込んでしまいました。松山遠征シリーズは次の記事です。

 1997年3月22日、500系が登場しました。
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 今年はそれからちょうど20年目です。残念ながら500系の量産試作車W1編成は2010年2月をもって引退してしまいました。しかしそれ以外の編成はそれ以降も走り続けています。そして明日、現役で走っている500系で一番古いV2編成が二十歳になります。
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 そこで、今回は500系の歩んできた20年間を振り返ってみたいと思います。

 500系が登場した背景には、やっぱり飛行機との対抗がありました。80年代になると飛行機が移動手段として人々に普及してきました。それにくらべて当時の最新型100系の最高速度は230 km/h。これでは飛行機とは勝負ができません。DSC_5550
 そこで、新幹線が飛行機との勝負に負けないために、JR西日本が1990年に新幹線高速化プロジェクトを立ち上げ、1992年には500系900番台が登場しました。これが「WIN350」です。

 このWIN350で、高速運転に必要なデータをひたすら採取していきました。このWIN350は営業運転に就くことなく1996年に廃車となりましたが、そこで採取した貴重なデータは営業運転に使われる500系を作っていくために不可欠となります。

 1996年には、営業運転に使うための500系が落成しました。これがW1編成です。今は京都鉄道博物館に置いてあります。
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 その年の2月24日から500系W1編成の過酷な試運転が始まりました。まずは設計最高速度の320 km/hで試運転。それから300 km/hで走って地上設備とのマッチングを確認。96年7月2日から97年2月2日までは、長期耐久試験で42.5万 km走りました。1日あたりは2000 kmです。東京~博多がだいたい1000 kmと考えると、7ヶ月間毎日必ず東京~博多を往復したことになります。なんてハードスケジュールなんだ……。

 こうして500系は過酷な試運転をクリアし、97年3月22日にデビューしました。登場した当初は、

のぞみ503号が新大阪7:53→博多10:10
のぞみ508号(臨時)が博多12:10→新大阪14:29
のぞみ509号(臨時)が新大阪16:51→博多19:09
のぞみ500号が博多19:21→新大阪21:38


という運用でした。W2編成が落成したのはW1編成が登場してから3ヶ月以上後です。7ヶ月間毎日2000 km走ってきた500系だからこそ、3ヶ月間予備車両なしでもできた運用ですね。
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 500系はこれまでの新幹線の中でも特別な装置をいくつも使っていました。例えば、この翼型パンタグラフは、
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 風切り音を小さくするために開発されました。移動速度が200 km/hを超えた状態でパンタグラフが風を切ると騒音がとても大きくなります。その騒音を小さくすべく、このような形になりました。支柱にとりついてあるギザギザはフクロウが音もなく羽ばたく様子からヒントを得て作られました。このギザギザがカルマン渦という騒音の原因を打ち消すことによって、パンタグラフから出る騒音が小さくなりました。それから、500系の車体はアルミハニカム構造という、正六角形を組み合わせた構造で作られました。
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アルミハニカム構造
 
 この構造をとることによって、費用はかかるものの軽くて強い車体が作れるようになりました。これにより走行時の振動が減少するので、環境問題をクリアしつつ高速で走ることができるようになりました。

 1997年11月29日、500系はついに東京に乗り入れるようになりました。このときの東京~博多の所要時間は4時間49分で、300系の5時間4分よりも15分も短くなりました。東海道区間では所要時間が変わらないので、山陽区間で一気に差をつけたようですね。

 ぼくが初めて500系に乗ったのは2006年のことだったと思います。当時福岡に親戚がいたので、その人のところに遊びに行くときに乗りました。時刻表を見て500系だと分かったとき、うれしくて夢でないのかと思ったくらいでした。乗れたときは本当にうれしかったですね。当時はまだ幼く、旅行するときにしか新幹線が使えなかったので、決して500系に頻繁に乗ることはできませんでした。でも「500系のぞみ」は長らくの間ぼくの憧れとして居座り続けました。

 しかし500系の栄光は長くは続きませんでした。2007年になると、後継のN700系が登場しました。
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 この車両は500系と同じく300 km/hで走るのはもちろんのこと、カーブの多い東海道区間を自慢の車体傾斜装置で颯爽と駆け抜けていくことだってできます。おまけに500系は15 mのロングノーズと引き換えに先頭と後尾の乗降口を失い、定員も300系、700系と異なってしまいました。
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 その500系は地位を失い、2010年2月、500系は東海道区間を引退。同時にのぞみ号を引退しました。引退から7年以上経った今となっても、500系が「のぞみ」として活躍していた日々が昨日のことのように感じられます。

 2008年から2010年にかけて、500系は山陽区間内で走るために改造されました。これにより500系はこだま号専用になりました。
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 これによりたったの8両に重たい機器が集中してしまい、環境対策をクリアできなくなってしまうので自慢の300 km/h運転はもうできなくなりました。その代わり、今度は乗る人たちを楽しませる車両となりました。2009年にはお子様用の運転台が8号車に取り付けられました。
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 この運転台では
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 300 km/hが表示されるようですね。さらに2013年にはレールスター仕様の700系との格差を減らすため、4号車と5号車の座席がレールスターのものと同じものに交換しました。
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 ちなみに元のシートはこちら。
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 やっぱ下のシートの方がいいですね。ちなみにレールスターのシートは指定席用です。ちなみに6号車は元グリーン車だったこともあって、
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 豪華な作りのシートが並べてありました。こういうのにはいつかは乗りたいですね。

 2014年には、V2編成(今エヴァの新幹線として走っているもの)が改造され、車内でプラレールが遊べる「プラレールカー」が誕生しました。当初プラレールカーは2015年3月まで運転するつもりだったようですが、好評だったので8月まで運転が続きました。

 そしてV2編成はさらに大胆に改造されました。それが
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 この編成です。2015年11月から走り始めました。当初は2017年3月まで走らせる予定だったようですが、2018年まで走るようになりました。今のうちに雄志をしっかり見ておきたいですね。

 長らく走ってきた500系ですが、ついにその一生を終えるときが近づいてきたのかもしれません。2017年6月29日、JR東海がN700Sのデザインを発表しました。
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 N700系が登場することで、一つ前の世代である500系と700系が一線を退きました。その押し出しで300系以前の車両が一斉に引退していきました。それを考えるとN700Sが登場したら、500系は間違いなく従来のN700系の押し出しで廃車になるでしょう。

 500系は子どものころからずっと憧れとして大きな存在を示してきました。しかしその500系の命がもうわずかしかないと思うと、さみしいものですね。おそらくいちばん先に16両のN700Sが製造され、16両の700系が淘汰されるでしょう。16両の700系が登場してから1年後に8両の700系が、16両のN700系が登場してから4年後に8両のN700系が登場しました。だから8両のN700Sが登場するのは2021~2024年ごろになりそうです。500系に残されたのはあと5年くらいです。500系には最後まで精一杯走ってもらいたいと思います。
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参考文献
新幹線500系電車
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A500%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A
新幹線500系電車900番台
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B9%E7%B7%9A500%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A900%E7%95%AA%E5%8F%B0#.E9.96.8B.E7.99.BA.E3.81.AE.E8.83.8C.E6.99.AF
N700Sのデザインについて
http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000034313.pdf
2017 イカロス出版 新幹線エクスプローラー vol.40 p10
2010 講談社 The500系新幹線 史上最強の超特急のすべて p46,48,50,52

画像出典先
http://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/1067916.html