昭和63年4月10日、本州と四国が一本の橋によって陸続きになりました。その橋はほかの橋とは比べものにならないほど長く大きく、四国の物流に革命的な変化をもたらしました。その橋の名は、

瀬戸大橋
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 その橋が開通してから、今日でちょうど30年もの月日がたちました。今日は瀬戸大橋の歴史を振り返り、瀬戸大橋を渡る列車を紹介していきたいと思います。



 瀬戸大橋の提唱がされたのは、橋が完成する100年ほど前の1889年になります。提唱したのは、当時の香川県議会議員の大久保諶之丞(おおくぼじんのじょう)です。彼のアイデアはとても素晴らしかったのですが、当時あれだけの大きな橋を作る技術はなく、ほとんど相手にされませんでした。その2年後に大久保は亡くなりました。

 橋がかかっていないので、本州と四国を行き交うときは船を使うことになります。
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 瀬戸内海は波が穏やかで島も多く、昔から海上交通が盛んでした。話が変わりますが、村上水軍をご存じでしょうか? 村上水軍は今でいうしまなみ海道がかかる島々に住んでいて、海上の警護や海の案内を請け負っていました。太平洋や日本海にくらべて瀬戸内海は優しく人々の生活に欠かしがたいものでしたが、たった一つ難癖がありました。それは、「霧が出やすい」ことです。

 瀬戸内海は北を中国山地、南を四国山地に挟まれています。このためどちらかの山地を登りきった暖かく湿った空気が海水で冷やされて霧ができます。瀬戸内海は山地に挟まれているため風が弱く、その霧はいつまでたっても居座ったままとなり、春の瀬戸内海の見通しを悪くします。地元では春の朝にもやがかかることは何度かありましたが、ごくまれに5 m先が見えないほどの濃霧になったことがあります。そのとき中学校に通う最中でしたが、今思えばあれだけの濃霧で事故がなくて良かったと安堵するところです。

 その霧で悲劇が起こりました。1955年5月11日の朝、国鉄の連絡船「紫雲丸」と貨車航送船「第三宇高丸」が衝突し二つの船は沈没。168人もの方々が犠牲になりました(写真の船とその事故とはまったく関係がありません)。この事件をきっかけに架橋運動が盛んになりました。それから20年を超える月日をかけて橋を架けるための調査が続きました。こうして1978年10月、ついに橋の工事が始まりました。

 橋の工事は極めて大規模でした。橋桁を作るためにいくつか島を爆破したり、とてつもなく大きい機械で橋桁を運んだり、まったく想像が付かないほどの規模です。その様子は坂出市のサイト内にある「瀬戸大橋架橋工事写真集」で見ることができます。残念ながらぼくはこの時代に生まれていなかったので、この工事を見ることができませんでした…………。

 瀬戸大橋が完全につながったのは1987年8月12日。工事が始まってから9年近くがたったときでした。それからはJRによる橋の性能を試験しました。1988年1月31日と2月2日、1000トン列車が瀬戸大橋を駆け抜けました。(YouTubeからの引用)

 いくら橋が丈夫に作られたといえども、1000トンの列車が駆け抜ければ線路が上下にウネウネと動くことが確認できます。こんなに線路がウネウネと動いてしまっては列車が脱線する危険があります。そこで国鉄は線路が動いても列車が脱線しないような仕組みを開発しました。(YouTube引用)

 これなら列車が連続で走っても大丈夫でしょう。

 このほかにもたくさんの試験を重ね、その年の4月10日、ついに瀬戸大橋が開通しました。この瞬間、本州と四国は船を使わずに行き交うことができるようになりました。

 ここから鉄道の話に入ります。瀬戸大橋が開通するまでは貨車や客車などを船に積んで、鉄道車両を本州を四国でやりとりしていました。本州と四国を結ぶのにかかっていた時間は約1時間でした。しかも船の積載量には限界があるため、行きかうことができる鉄道車両の数はたかが知れていました。それが、橋が架かってからはたった15分で本州と四国を行きかうことができるようになりました。船を使わなくてもいいので、一度に渡れる車両の数も劇的に増えました。ピーク時には瀬戸大橋線の年間利用者数が1000万人を超えました(1993年)。

 瀬戸大橋が開通して間もないころにはJR四国の新しい車両が次々登場しました。瀬戸大橋が開通する以前には国鉄型の車両ばかりがいましたが、1989年に2000系が、1993年に8000系が登場してからは国鉄型の特急型車両は次々と淘汰されていきました。当時快速マリンライナーに使われていた213系は登場して間もなかったため置き換えの対象とはなりませんでした。

 8000系の登場以降、車両の更新が落ち着いていましたが、2003年、瀬戸大橋線に新しい車両が登場しました。それがこの車両。
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 5000系と223系5000番台です。先代の213系にくらべて速達性能も加速性能も格段にアップしました。二階建て車両を採用し、快適性を向上させました。登場したときはビックリしましたね。これにより213系は「快速マリンライナー」を引退しました。

 2008年、引退してしまった213系が「マリンライナー」として復活しました。今からちょうど10年前、瀬戸大橋開通20周年イベントで213系が4年半ぶりに快速マリンライナーとして運転されました。(YouTube引用)

 めっちゃ平和。10年前にはまだ撮り鉄の数が少なかったのでしょう。今やったら高松駅は荒れそうですね。本当なら見にいきたかったですが、その日は遠足で別の場所に行ってしまったので見にいくことができませんでした。その日の遠足で瀬戸大橋記念公園に行く予定があったのですが、まさか変更になってしまうとは……。

 快速マリンライナーは基本的に5両編成、時間帯によっては7両に増結されたり、2両か3両に短縮されることもあります。しかし2003年以降、一時期快速マリンライナーは3両、6両、9両に固定されていたことがあります。2007年から223系5000番台の間に2000番台を連結し、JR西日本が所有する快速マリンライナー用の車両は3両編成となりました。5000系はもともと3両だったので、マリンライナーの両数はすべて3の倍数に統一されました。朝のラッシュ時には9両が運転され、8000系などで組まれる8両編成を上回り四国で最も長い編成となりました。一度見たことがありますが、とても圧巻でしたね。YouTubeを探したところ9両マリンの動画が残っていました。これを撮影してくれた人に感謝です。


 残念ながら高速道路が安くなりすぎたので2010年に増結は終わり、今は当初と同じく2、3、5、7両編成での運転となってしまいました。マリンライナーには何度か乗ったことがありますが、特に岡山~坂出ではいつも混雑するので増結は残してほしかったですね。岡山からマリンライナーに乗って座るなら、少なくとも列車が出発する20分か15分くらい前には列車を待ち始めたいものです。これはあくまで目安で、りお正月やお盆などにはもっと前から並んでおかなければならないかもしれません。お金に余裕があるなら指定席券を買っておけば間違いなく座れるでしょう。この指定席券を使うだけで旅行気分になれるのですから、うれしいものです。2013年には瀬戸大橋線でトワイライトエクスプレスが運転されました。

 こうして考えると、瀬戸大橋にはさまざまな歴史があることが分かりますね。そんな歴史を背負って現在瀬戸大橋を駆け抜ける列車は次の通りです。

2000系(南風、うずしお)
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南風は2016年より増結が充実するようになった。2016年までは特急しおかぜとしても走っていた。
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8000系(しおかぜ)
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普段は5両がしおかぜとして岡山に、3両が高松に向かうが、お正月とGW、お盆には多くの乗客をさばくために8両全部がしおかぜとして岡山に向かう。

8600系(しおかぜ)
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本当は5両編成。8000系にくらべて大量輸送に向かないためお正月とGW、お盆には「いしづち」として高松~多度津だけを走る。2018年3月より8600系は8両編成が組めるようになり、その年のGWから8両で岡山に行くようになりました。

285系(サンライズ瀬戸)
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5000系・223系5000番台(快速マリンライナー)
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115系
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6000系
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一度は瀬戸大橋線から引退した。2016年より113系に代わって瀬戸大橋線の普通列車を担当するようになった。

アンパンマントロッコ
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ラ・マルせとうち(写真なし)

 瀬戸大橋には多彩な列車が走っています。退屈しないラインナップですね。

 おしまいに、これからの瀬戸大橋の利用方法を考えていきたいと思います。瀬戸大橋に新幹線を通すという案が出ていますが、これは非常に有効な手段だと思います。実は瀬戸大橋は新幹線と在来線が同時に走れる設計となっています。新しくトンネルや橋を作らなくても新幹線で海を越えることができます。

 人口が減るから新幹線は四国にはいらないという人もいるかもしれません。しかし四国には規模は小さいものの都市がまんべんなく散らばっており、すでに新幹線が通っている北陸地方にも劣らない沿線人口があります。加えて、四国に新幹線を作っても採算は十分取ることができ、交流人口が増えることによって人口減少を抑えることができます。

 それでも「机上の空論」と唱える方は、一度H29年12月15日号の「広報たかまつ」における高松市の方針を読んでみてください。きっと考えが変わると思います。かつて大久保諶之丞が唱えたアイデアが後に四国を大きく動かしたように、四国新幹線もみんなで必要性を訴えれば必ず作られ、未来の四国を大きく変えていくことでしょう。

 多くの人員と金額を使って作られた瀬戸大橋。開通から30年もの月日がたったといえども色あせず、今日も岡山・香川の人たちの憩いの場となっています。
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 この橋は、これからも本州と四国の物資のみならず人々の思いも渡していくことでしょう。これからも末永く大切に使っていきたいものですね。
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参考文献
瀬戸大橋
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%A4%A7%E6%A9%8B
村上水軍
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%B0%B4%E8%BB%8D
瀬戸内海の濃霧
http://www.jma-net.go.jp/takamatsu/11/spring1.html
瀬戸大橋架橋工事写真集
http://www.city.sakaide.lg.jp/site/toshokan-top/lib-eizou-seto.html
瀬戸大橋線
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E6%88%B8%E5%A4%A7%E6%A9%8B%E7%B7%9A
マリンライナー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%BC
四国新幹線の実現を目指して
http://www.pref.kagawa.jp/kotsu/shikoku_shinkansen/need/index.html