1989年から続いてきた平成時代も、もう後2時間で終焉。次日付をまたいだとき、新しく「令和」時代が始まります。国鉄民営化から間もない頃に平成時代が始まり、その頃バブル経済で日本の経済はかなり豊かだったこともあり、平成初期には数々の新しい車両が華々しくデビューしました。JR発足以降に製造された振り子式車両も、まさにそのうちの一つ。制御付き振り子式車の登場によって、従来型のものよりも乗り心地が改善され、全国に活動範囲を広めました。

 その「制御付き振り子式車」を初めて作った会社は、比較的財源の豊かな本州3社…………ではなく、JR四国でした。そしてそのJR四国の名車こそが、2000系です。その2000系が営業運転を開始したのが、平成時代が始まってわずか2ヶ月後のこと。今回は、平成ラストを締めくくるべく、平成を駆け抜けた2000系の半生を振り返っていきましょう。


新たなるスーパー気動車
 JR四国が発足した当時、四国には新幹線も開通しておらず、智頭急行や北越急行などの高規格な路線もあまり存在しないため、急勾配、急曲線が連続する路線をどうにか使っていくしかありませんでした。さらには高速道路が開通し、鉄道は高速道路に利用客を奪われることは必至でした。そこでJR四国は鉄道総研と手を組み、急勾配、急曲線が連続する路線を高速で走れる車両を開発しました。それが、2000系です。
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 JRの通例にならえばこの車両はキハ○○となるところでしたが、西暦2000年間近だったことを受けて「2000系」という形式になりました。以来登場したJR四国の車両は、すべて形式が4桁で表されています。もっとも2000系自体がJR四国発足以来初めて新しく登場した形式だったため、民営化以降に登場したJR四国の車両はすべて4桁となっていますが。

 気動車で振り子装置を正常に起動させるために難しかったのが、エンジンの回転によって車体が勝手に傾かないか否かということでした。これを解決するため、2000系では2基のエンジンの回転方向を反対にしました。これによってエンジンの回転を相殺し、見事振り子式気動車は完成しました。(後にエンジン1基だけでも問題なく振り子装置が動作すると分かったが、前例が全くなかったためこのアイデアはとても大きな決定打となったでしょう。)

 こうして数々の難題をクリアし、十分な試験走行を経て、平成元年3月11日に2000系がデビューしました。このときデビューした車両は「試作車」であり、「Trans Shikoku Experimental」という愛称がつきました(以降TSE)。その後平成2年から量産が始められ、土讃線を走る「南風」「しまんと」に一気に導入されていきました。それまで登場した国鉄型の非力・振り子装置非搭載の車両を置き換えたことで、土讃線は一気にスピードアップされました。同時に、第三セクターである土佐くろしお鉄道にも2000系が配置されました。
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2000系に置き換えられたキハ185。キハ185は1986年にデビューし、比較的新しい特急型車両であったが、エンジンの出力が2000系よりも低く振り子装置も搭載していないため、土讃線特急からすぐに退くことになった。2017年6月4日 高松駅

 さらに2000系増備の勢いは止まらず、予讃線の特急列車にも2000系が導入されるようになり、予讃線(高松~伊予市)の電化が平成5年に完了するまで、2000系は予讃線でもフラッグシップの車両として君臨しました。結局、増備が終わった平成4年までに60両以上が製造され、予讃線の電化・JR四国発の特急型電車8000系の登場とともに、四国の特急を大きく近代化しました。


(Youtubeより引用)1991年時点では、キハ181と2000系の共演が見られた。他社ではまだまだ国鉄型の特急が数多く存在する中で、この映像からたった数年でこのような光景が見られなくなるとは誰が考えただろうか??

 残ったのは高徳線。この区間にはまだ2000系の導入がされておらず、国鉄型の特急型車両(キハ185など)が数多く残っていました。そこで、JR四国は智頭急行で走っているHOT7000系をベースに、新しい2000系の開発に乗り出しました。それが、「N2000系」です。
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 普通の2000系・TSEの最高速度が120 km/hに対して、N2000系では、最高速度は130 km/h。そのためにエンジンの出力やブレーキが強化されました。N2000系のデビューは平成7年。最初は従来型の車両と混ざって運転されていましたが、平成10年の増備によって正式に高徳線で「うずしお」として活躍の場が与えられました。

 こうして2000系の増備は終了し、最終的に約80両が製造されました。



英雄現る
 2000系の増備で躍進していたJR四国に、突如自然の猛威が襲いかかりました。平成10年9月、台風7号の襲来によって盛土が崩れ、土讃線は寸断されました。この復旧には3ヶ月かかり、JR四国は大きなダメージを負いました。

 そんなJR四国が巻き返しを図るため(?)、新たなる試みを始めました。それが、「アンパンマン列車」です。
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 平成12年、土讃線にアンパンマン列車が登場しました。なぜ土讃線かというと、土讃線の通う高知県が、アンパンマンの作者、やなせたかし先生の故郷であるからです。当初は青いアンパンマン列車が4両編成で走っていましたが、後に土佐くろしお鉄道所有の2000系もアンパンマン列車化され、子どもたちが楽しく乗れるようになりました。ぼくは平成7年生まれであるため、記憶があるのはこのへんからです。アンパンマン列車は、小さい頃丸亀駅まで見せに連れていってもらったことがあります。

 平成13年には予讃線でもアンパンマン列車が走るようになり、同時に土讃線のアンパンマン列車もリニューアルされました。
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 車両が一通りそろったところで、今度は内装が改良されていきました。平成17年には予讃線のアンパンマン列車に、平成20年には土讃線のアンパンマン列車に「アンパンマンシート」という、内装がアンパンマンであふれた座席が新たに設けられました。(動画はYoutubeより引用)

 平成20年には、始発・終着駅に限ってアンパンマンの声が車内放送で流れるようになりました。(動画はYoutubeより引用)

 「始発・終着駅に限って」ということで、これを聞けるのは乗る列車の始発駅出発直後か終着駅到着直前だけです。動画のものは終着駅手前バージョンで、始発駅出発直後はまた別の音声が流れます。ただし車掌さんが忘れてたまにこの音声が聞けないこともあるので、そのときは運が悪かったと思って諦めましょう。

 こうして、ある程度使い込まれた2000系は、アンパンマンの力によって生まれ変わり、JR四国の新たな顔になりました。ぼく自身は、2000系のアンパンマン列車に乗ったのはほんのちょっと。元々特急に乗ることは少なく、最近になって、せっかくだから乗ってみようくらいの感覚で乗るくらいです。しかし車体の派手な装飾とは裏腹に、車内の装飾はアンパンマンシートなどの一部を除いて簡素なもので、天井にキャラクターが絵が描かれている程度となっていて、大人だけでも乗りづらいことはありません。というわけで、四国に来たら一度は乗ってほしいものです。

 しかし、その裏で2000系が廃車となってしまう、悲しい事故が起こりました。平成17年3月、南風17号が、行き止まり式ホームである宿毛駅(土佐くろしお鉄道宿毛線)に突っ込み、運転手1名死亡、乗客乗員11名負傷。そして車体や駅が大破しました。

事故があった宿毛駅(Youtubeより引用)

 これにより、2008と2218が廃車となりました。2116は損傷が少なかったため、修理後復帰しました。土佐くろしお鉄道宿毛線は同じ年の6月に、隣の東宿毛駅まで復旧。宿毛駅は同じ年の11月に復旧しました。この年の夏休み、じいちゃんと電車を見にいったとき水色のアンパンマン列車の行き先が「東宿毛」だったのを覚えています。

 ただ、残念ながらこの事故を境に宿毛駅発着の特急列車が減ってしまいました。平成9年の開業以来、2003年まで5~6往復の特急列車が宿毛駅を発着していました。しかしその事故以来、便数は減り、2019年3月16日のダイヤ改正では2往復にまで減ってしまいました。本当に残念な限りです。ちなみに、この年「福知山線脱線事故」も起こったので、今思えば平成17年は、鉄道の安全を大きく揺るがす年だったのかもしれません。

 こうして2000系にとって、光と闇を受けた10年が終わりました。



老朽化との闘い
 平成20年代に入ると、どうしても設備の老朽化で最新鋭の車両に比べて見劣りするようになりました。そこで、平成22年から一部の車両の内装がリニューアルされました。しかし老朽化をごまかしきることはできず、平成26年、ついに2000系を置き換える新しい特急型車両が登場しました。それが、「8600系」です。
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 8600系は、JR四国初の「空気バネ式」車体傾斜装置を搭載した車両。これによってカーブ区間を高速で走ることができます。振り子装置に比べると傾斜角が小さいためカーブを通過できる速度は落ちますが、動く部分が少ない分メンテナンスが楽であるため、平成10年代に入って本格的に採用されはじめた方法です。新幹線N700系やE5系にも同じ手法が取り入れられ、さらなる所要時間短縮が行われています。

 8600系の登場によって、平成28年には松山~岡山・高松の特急列車はすべて電車に統一され、それまで「しおかぜ・いしづち」に使われていた2000系は予讃線を追われました。しかし、このとき廃車は発生せず、その車両たちは「南風・しまんと・あしずり」の土讃線系統で新たに活躍することになり、車両数に余力が生じるようになりました。

 その直後のGWには、豊富な車両数を生かして南風・しまんとに多くの車両を増結できるようになりました。そんなわけで平成29年8月にその増結の様子を撮りにいきましたが、本当に豪華な編成がたくさん見られました。
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 このときの南風は本当に圧巻でした。しかしその間にも2000系の最期のときは近づいてきていました。これを撮影した日、新型特急気動車2600系がデビュー。
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 この車両の登場によって、2000系は引退していく予定でした。この車両も空気バネ式車体傾斜装置を搭載しているため、振り子式車両の未来は長くないだろうと思っていました。

 しかし、車体傾斜装置を機能させるには圧縮空気の量が足りず、2600系の量産は断念されました。その代わり、振り子式車両である2700系が増備されることになりました。これにより振り子式車両の未来はもうしばらく安泰となり、2000系はもう少し長く活躍できることが決定されました。

 ところが、2000系の最期が近づいていたことが象徴される出来事がありました。平成30年のダイヤ改正において、N2000系が松山運転所に転属。これにより、初めてN2000系が「宇和海」に定期的に用いられるようになりました。(転属したのは2460、2523、2426の3両)
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 2600系の登場によって高松運転所の2000系が松山運転所に転属するだろうとは思っていました。しかし、いざフタを開けてみると転属したのはN2000系。これは完全に予想外でした。N2000系は後で作られた車両のため、2700系が十分な数が出そろうまで「宇和海」として活躍を続けそうです。

 その影響で、ついにTSEが営業運転を終えました。平成30年7月にラストランが完了され、それ以来TSEは多度津工場から出なくなりました。

平成30年7月のラストランの様子。(Youtubeより引用)

 平成最後の多度津工場公開(平成30年10月28日)では、TSEが3両フルで見られる最後の機会が設けられました。そのときTSEは青空の下で輝いており、あたかもまだ走りそうな様子でした。
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 しかし、台車などはすでにさび付いており、もう二度と動くことはないことを悟りました。今年3月で2201が解体されたので、これをもってTSEのフル編成は見られなくなりました。さらに量産車が数量廃車になりました。

 2700系が増備されれば、引き換えで2000系が廃車が進んでいきます。現在分かっている中では令和2年度までに40両が導入されるので、状態の良い車両40両弱は少なくとも再来年3月までは見られるでしょう。しかし、現時点でN2000系を除くとすべての車両の車齢が25年を超えているので、ノーマル2000系が見られるのはせいぜい数年程度、N2000系も10年以内には存在が危ぶまれるでしょう。



 自分が今まで慣れ親しんできた2000系が引退してしまうのは、大変残念なことです。しかし、2000系で培われた技術や、アンパンマン列車などのキャラクター列車はどちらも好評で、どちらも現在日本中のあらゆる場所で見られます。

 激動の時代に生まれ、四国のみならず日本の鉄道に革命的変化をもたらした2000系に敬意を表し、新たに登場する2700系が令和時代のJR四国を大きく変えることを願いつつ、結びの言葉とします。
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参考文献
JR四国2000系気動車
土讃線
土佐くろしお鉄道宿毛駅衝突事故
土佐くろしお鉄道宿毛線
JR四国8600系